ななぶんのいち

つよく 素直に生きたい。

あの頃のこと

ふと思い出していた。

 

先日、アルバイト先で

「一生続けるならどんな仕事しますか?」

と聞かれて、プランナーだと答えた。

新卒で入って2年で辞めた仕事だった。

そういえば天職だとも思っていたはずなのに、どうして辞めたんだっけ?と

もうすぐ寝られそうだったけれど、あの頃のことをきちんと振り返ってみようと思った。

 

 

 

2年間で96組のお客様を担当した。

ぱっと見るとそこまで多くないようにも思うけれど、

最初の半年は研修だとして、約1年半。

新卒で入ったピーピーの私が担当させてもらうには多すぎる。

そしてちなみに今年でおそらく6年目になる先輩は、今年100組達成したらしい。

その数字を知った時に、あ〜やっぱり異常だったのかなと思えた。

 

 

最初は憧れの仕事をさせてもらっているだけで胸がいっぱいだったし、毎日やることに追われて、なんだか充実してる!としか思わなかった。

というのも、通常ほとんどの会社では分業スタイルを取っていたのに対し、前の会社は全部プランナーが担当していたからだった。もちろん業務量はそれだけ多く、発注まで全てするのには結構な時間が必要になった。

 

ひと月に2組だったのが、次の月には4組、8組と増えて、月に10〜15組近くの担当を持つようになった。(多すぎる)

プラスで、SNS担当や新プランの担当なども任されるようになった。

自分の業務だけでパンクしそうなのに、

毎日電話は一番に対応しなくてはいけない上、

平日は内覧、会場での試写

土日は内覧はもちろん、ドリンクフォロー、会場に出向くなどをしなければならなくて

自分の業務ができる時間などとても無く、滞るばかりだった。

 

そして上司からいつも仕事が遅いと怒られていた。

「私の頃は一人、月に20組担当していた」

と何度も言われた。

その度に、「私はなんて出来ないやつなんだろう」と思った。

その上、残業することはほぼ許してくれなかった。

ときどき残業する時も、嫌な顔をされた。

残業しないと終わらないのに出来ないから次の日に繰り越して、次の日はまた新しい業務が入って、やってもやっても終わらなかった。

前日に仕事のスケジュールを立てていても、それ通りに進んだことは一度もなかった。

自分の効率の悪さが情けなくて、でもどうしたらいいのか分からなかった。

(今思えば当日急に他の人の仕事が入ることも多々あったので、業務できなくて当たり前)

 

自分の担当のお客様の時、なぜか先輩から判断を仰がれたこともあった。どう判断したら最適なのか、現場経験も少なくて分からず、泣きそうになったのを覚えている。教えてほしかった。

業者の人からお客様に失礼があって、責任者の私が土下座をしたこともあった。上司も一緒だったけれど、その日は本当に生きた心地がしなかった。

2年目は基本ずっと苦しかった。

 

 

 

きっと業務過多が原因だったと思う。

そして誰にも頼れなかった。

厳しい上司にも無愛想な先輩にも、先輩と付き合っている同僚にも。

あの頃は全員が敵に見えた。

職場に着いても居づらくて、すごく遠くのトイレまで行っていたことも思い出した。

ずっと、どこかで倒れないかなと思っていた。

逃げ出したかった。

 

病院に行った日、涙が止まらない自分をちゃんと自分で守らなきゃと思った。

病院で診断書をもらえば、これでやっと少し休めるのかなと思った。

引き継ぎをしなければとかいろいろ考えていたけれど、

「もう明日から行かないで」と言われて

 

引き継ぎが困る、と思ったのと

休んでいいんだ、という安心感と、

そんなにひどかったんだ、と少し驚きがあった。

(でも次の日仕事には行って引き継はした)

 

 

あの時に自分でSOSを出せて本当に良かったと思っている。

会社の人に迷惑をかけてしまった反省はあるけど、病院にいかなきゃよかったという後悔はほんの少ししかない。

(もう少しやりたかったなと思う気持ちはある)

 

でもやっぱり、倒れたりする前に自分を守ろうとすることが出来て良かった。エラい。

弱かったかもしれないけれど、そんなこんなで今がちゃんとあるからもうそれで良し。

一生続けるなら、スターバックスがいいです。