社会の歯車
苦しかった頃の話。
私はまだ、新入社員で入社2年目。
夏から秋にかけての涼しくなる頃だっだと思う。
運良く、私は入社してすぐに仕事をふってもらえる環境に在った。
高校生の時からずっと夢見ていた仕事で、
最初こそドキドキして、なんとしても完璧にやろうと意気込んでいた。
誰よりも早いデビューを喜んだし、もっと成長していけると思っていた。
ただ、どんどんと私の仕事量は多くなっていった。
「私があなたくらいの頃、今のあなたの倍は仕事してた」
上司の口癖だった。
それならば、と頑張った。要領が悪いし、もういっぱいいっぱいだけど、それに気づかれまいと、もっともっと頑張った。
気がつくと、あんなに憧れていた職業は、ただのこなし作業のようになっていた。
仕事をしてもしても終わりが見えず、
"お客様の事を想って"
と時間を掛けようとするも、仕事が多ければ多いほど それは叶わなくなっていった。
(残業しない主義の上司だったので、半ば強制的に仕事を切り上げていた)
そんな中、とんでもない失敗をしてしまった時があった。
私の責任、と思っているが、正しくは違うのかもしれない。
発注させてもらっていた業者の方の、確認ミスがあった。
それはもう取り返しのつかないミスだった。
発注はいつも通りに出来ていたらしい。
お客様は、それはもうすごく悲しんでいて、悲しみを通り越して、無の感情に近かったかもしれない。あんなに楽しみにしてくれていたのに、台無しにしてしまった。
責任者である私は、死ぬ思いで謝った。謝っても謝っても、足りないと分かっていたけど、それでも謝った。死んで詫びる、と言う言葉があるけれど、それで許してもらえるならそうしたかった。
世界が真っ暗になったようだった。
お客様のその時の気持ちを考えると、もういっそ死にたかった。
その帰り道も、それから数十日も、苦しい気持ちで胸がいっぱいだった。
自分が楽しい事をしている時、「こうしている間も、あのお客様は悲しんでいるのではないか」と思って、何をしても気が晴れることはなかった。
一方、ミスをした当の本人は、当日 姿を現すことはなく、それから数日後、何事もなかったかのようにヒョッと会社に訪れた。
「先日はすみませんでしたあ」
と生ぬるい声と笑顔で、上司に謝っていた。
上司は「担当はこちらなんで」と私を指す以外、何も話さなかった。
再度 同じように頭を下げられても、担当だとは言っても、一番下っ端の私は、黙ることしかできなかった。
「その態度なんなんだ」「謝ってるつもりなのか」
「取り返しのつかないことをしたって分かってるのか」
「大切なお客様だったんだ」
「当日、何があっても、這ってでも謝りにこいよ」
「どれだけ悲しかったのかお前に分かるか」
言いたいことは、山ほどあった。
全部ぶつけてやりたかった。それでもお客様の想いは晴れないけれど。
ただ、これからも関わりがある業者さんだから、こんな私の不用意な言葉で、何かあったら。
そう思うと、言えなかった。
第一、上司は何も言っていなかった。
その中で私が、言えるはずがなかった。
死ぬほど悔しくて、悔しくて、しょうがなかった。
自分のミスとは言え、もう責任取ってクビでいいとも思った。
何も言えなかったことを上司のせいにする私も、実際に何も言えなかった私も、その時 全てが醜かった。
こうして、苦しくて堪らない時期をはじめ、いろいろ積み重なって、結局 私はうつになっていた。
会社の上司とは、みんなこういうものなんでしょうか。
私が何も考えずに、言いたいことを言っていたら、何か変わったのでしょうか。
今更考えても、何もならないけれど、今度は強くなりたいと思う。
"守りたいものの為に"、それだけを考えて、強くなっていきたいと思う。