ななぶんのいち

つよく 素直に生きたい。

大好きな2人のこと

湯葉シホさんの書く文章がすき。

言葉選びも時々感じるシホさんの強い意思も、どうしようもなくすき。

考えていても口にはしなかった言葉に、こうしてインターネットを介して触れることが出来てとても幸せだと思う。

 

 

スマートフォンを握る右手と、その右手を掴む左手、あとパンプスから少し出ている足が3月のまだ寒い外気に触れて凍ったように冷たかった。

もう行かない日を数えた方が早いくらい通っている某喫茶店に行ったあとの帰り道である。

とても寒い日だったことに加え、なんだか頭の中がふわふわするから今日は早く帰ろうと思った。

ただ電車の発車時刻までまだやや時間があったので、ぼーっとしていた。

持て余していた時間を潰す為に商品の陳列棚を見ていた。そうすると、いつも喋るお姉さんにカップやコーヒーの紹介をしに来てくれた。(少しサボらせてしまったと思うのだけど)話している時間はとても楽しかったし、頭もふわふわしていないように感じた。

それはもうノリがいい人で、一緒に呑んだら楽しいんだろうなあと思った。

今日は何故かお酒が飲みたい気分だった。

大抵いつも思っているのだけれど、最近はおよそ買っていなかった。ただ、今日は ほろよいのももを買ってしまった。

まだビニール袋に入った ほろよいをぶら下げながら電車の中に入り腰掛けると、右斜め向かい側の女性と、そのお子さんであろうベビーカーにのった子とが手を繋いでいた。なんだかとても気持ちがほっこりしたのと共に、心の隅で半径2.5センチくらいの穴がぽっかりと空いたような虚無感を覚えてしまった。

 

暖かい電車の中で、ふわふわする頭をぐらぐらさせ、あったまってきた手先と共にお酒まで温くなるような感覚に陥った。

 

人との繋がりも温もりも切に欲しいと思っているけど、疲れてしまっていたのだ。

思い返すと一人の時間はどこにもなかった。一人でいる時も、人と繋がる為に手元のスマホを駆使しインスタグラムやライン、ツイッター等を往復し、また走り転げている。もはや人依存症である。もっと孤独な夜や、思想に耽る時間、ふわふわした頭を抱えて ほろよいのももを流し込むことが今の私には必要なのである。

心地よくて出られそうにもないこのぬるま湯から、今夜脱却を図る。

 

 

尊敬する生湯葉シホさんの 繊細で、画用紙の隅の方に鮮やかに描かれた水彩画のような文章や、大好きな森見登美彦さんの 一貫した言葉選びのセンスの良さに触れた今日、よし私も文章書こ、と思った。そして書いたのがこれ。読み返すと、稚拙だし愛おしい2人には到底及ぶはずもないけれど、それでも私がいた証としてここに記しておこうと思う。