ななぶんのいち

つよく 素直に生きたい。

ラジオ

夜中2時、

車の中で暖房をつけて暖まりながら

ラジオをつけている。

洋楽が流れてくる。

 

 

 

この時間がなんか贅沢で、

すごく眠いんだけど眠りたくなくて、

もう家はすぐそこなのにコンビニの駐車場でゆったりすごしている。

私のためだけのこの時間が、とっても贅沢で特別だ。

 

 

 

せっかくだから誰かに、おやすみといい夜をって伝えてみたいのだけれど

ストーリーを見ている知り合いはみんな、急に電話とかしたら驚くというか

電話なんかしたことない人ばかりが起きているもんだから

話したいなという気持ちが消化不良になってしまって困る。

きっと明日には何と思ってないんだろうけど。

 

 

 

このまま夜の静かさとまどろみの中に溶け込んでしまいたいなと思う。

それを分かち合いたいとも思う。

でも勉強もしなければと思う。

 

つまりは早く帰らなきゃ行けないんだけど、でも

この曲が終わったら。

この時期はいつもだめだ

湯葉さんが以前言っていたように、

サイクルがある気がしている。いつもこの時期はだめだ。

わたしの誕生日近くの冬の時期。

 

 

抑うつ状態になった頃もこの時期だった。

本当すっごく大好きだった人と別れたのも、

会社を休んだのも、それまで恋人に誕生日を祝ってもらったことがないという劣等感もあった。

(わたしの周りが恋人に祝ってもらっていることが多かった)

今思い返してもちょっとしんどい。

それから、毎年やってくる しんどい時期がこの秋から冬。

 

 

何もやる気が起こらなくなるし、イライラするし、

生理前のようだけど、それよりも気分がズンと落ち込んでいるような感じ。

 

 

 

今日も苦しい。

新しい環境はすごく気を遣うし、息苦しいし、また悪口言われてたりするんじゃないかって

ずっとずっと考えてしまう。

別に忌み嫌われるために来たんじゃなくて、頼まれたから泣く泣く来たのに。

喉も腹も重くて、景色が灰色に見えていたあの時のような感じ。

早くどこかへ消えてしまいたい。

消えてしまえたらいいな。

 

弱くなった

コロナになって以前より急速に人と会わなくなっていった。

人と会って考え方を聞いたり、一緒に楽しいことをしたりすることが、私を構成していたように思う。

そんな私がこんなに気持ちの浮き沈みが激しいのはやはりコロナのせいもあると思う。

 

 

 

人を簡単に信用できない。

強いところばかり見えても、憧れはするけれど何かを分かち合いたいと思えない。

自分の弱いところは見せられない。

誰かの、誰にも見せたことがないであろう部分を見た時に、初めてその人を信用できると思っている。

 

最近会った営業の人は、知り合いの奥さんのことを「細身で綺麗だ」と言っていた。

私はこんなこと言う人と一緒に居られないと思った。

人を形容して伝える際、容姿だけで伝えることは私はしない。

なぜなら私がそこにコンプレックスを抱いているから。

私は細くもないし綺麗でもない。

もし"私"を伝えるときに、この営業の人はなんて形容するんだろう。

きっと可愛らしくて(丸いから)優しそう(丸いから)。

だいぶ偏見だとも思うけど、他に捉えようがないくらい平凡な容姿だしどちらかというと丸めなので、こんな感じかな。

 

私は人のそこじゃなくて、もっと違うところを知りたいと思っている。

でもその人の一言を許せずに、心が今日ずっとむかむかしている。

 

こんなにも心が弱くなっていたなんて、絶望的だと思った。

人の尻を追いかける

人の目線が気になる。

どこを向いているのか、誰に向いているのか。

自分がその人を好きな分、その人も私のことを同じくらいには想っていてほしい。

だから好きな人が他の人の方を向いているのが嫌だ。

見ていた分自分の方をもっと長く見てほしい。

こっちを見て欲しくて結局 相手の尻ばかり追っている。

追ってばかりでなんか疲れた。

 

 

 

AirPodsの3だかproだか、バージョンの話してて全然分かんない。

地元が同じだという話をしたかったのに、遮られる。

仲良いと思っていた人が、私よりも仲良くないであろう人に、私の知らない話をしている。

「またどこかで是非話させて」の"また"が来ないことなんて前世から決まってる。

 

話の内容、近くで詳しく聞いちゃったし。

ふーん、それ私に話してくれないんだ、あっそ、そっか。

いいよ別に誰が誰に何言おうと決まっているわけじゃないし、言わないって選択肢もあるよね。

 

面倒くさくて、詰め替え用のメイク落としシートでごしごし擦ってメイクを落とす。

肌痛いし、乾燥してシワになるかも。

まあそれもどうでもいっか。

決まっている話じゃないから、言いたい人にしか言わないって言ってたもんね。

 

 

 

まあいいんだよ、私の肌が荒れたって夜中なのにインスタントラーメン啜ってたって。

でもなんで私だけこんな追いかけてんだよ。

私も特別の中に入れて欲しくて必死になって人の尻ばっか追いかけて。

なんかもう疲れたわ。

 

 

部屋の中で流れ星を見る夜

真っ暗な部屋の中、

扇風機が回る音と、耳をすませば遠くで鳴いている虫の声も聞こえる。

ベッドに入ったはいいけれど、あと1時間くらいで洗濯機が終わるので洗濯物を干さなければ。

ぼー、と天井を見つめていた。

秋の夜だった。

 

ときどき車が通り、その度 天井に細い光の筋が流れていった。

カーテンの隙間から入り込んでちょうど天井を流れるその光は、すごく綺麗だった。

だから車の音がすると、なんとなくだけど胸が躍るような感じがした。

眠たいけれど眠れないし、あと何回見られるのか楽しみにしたいと思う。

あの頃のこと

ふと思い出していた。

 

先日、アルバイト先で

「一生続けるならどんな仕事しますか?」

と聞かれて、プランナーだと答えた。

新卒で入って2年で辞めた仕事だった。

そういえば天職だとも思っていたはずなのに、どうして辞めたんだっけ?と

もうすぐ寝られそうだったけれど、あの頃のことをきちんと振り返ってみようと思った。

 

 

 

2年間で96組のお客様を担当した。

ぱっと見るとそこまで多くないようにも思うけれど、

最初の半年は研修だとして、約1年半。

新卒で入ったピーピーの私が担当させてもらうには多すぎる。

そしてちなみに今年でおそらく6年目になる先輩は、今年100組達成したらしい。

その数字を知った時に、あ〜やっぱり異常だったのかなと思えた。

 

 

最初は憧れの仕事をさせてもらっているだけで胸がいっぱいだったし、毎日やることに追われて、なんだか充実してる!としか思わなかった。

というのも、通常ほとんどの会社では分業スタイルを取っていたのに対し、前の会社は全部プランナーが担当していたからだった。もちろん業務量はそれだけ多く、発注まで全てするのには結構な時間が必要になった。

 

ひと月に2組だったのが、次の月には4組、8組と増えて、月に10〜15組近くの担当を持つようになった。(多すぎる)

プラスで、SNS担当や新プランの担当なども任されるようになった。

自分の業務だけでパンクしそうなのに、

毎日電話は一番に対応しなくてはいけない上、

平日は内覧、会場での試写

土日は内覧はもちろん、ドリンクフォロー、会場に出向くなどをしなければならなくて

自分の業務ができる時間などとても無く、滞るばかりだった。

 

そして上司からいつも仕事が遅いと怒られていた。

「私の頃は一人、月に20組担当していた」

と何度も言われた。

その度に、「私はなんて出来ないやつなんだろう」と思った。

その上、残業することはほぼ許してくれなかった。

ときどき残業する時も、嫌な顔をされた。

残業しないと終わらないのに出来ないから次の日に繰り越して、次の日はまた新しい業務が入って、やってもやっても終わらなかった。

前日に仕事のスケジュールを立てていても、それ通りに進んだことは一度もなかった。

自分の効率の悪さが情けなくて、でもどうしたらいいのか分からなかった。

(今思えば当日急に他の人の仕事が入ることも多々あったので、業務できなくて当たり前)

 

自分の担当のお客様の時、なぜか先輩から判断を仰がれたこともあった。どう判断したら最適なのか、現場経験も少なくて分からず、泣きそうになったのを覚えている。教えてほしかった。

業者の人からお客様に失礼があって、責任者の私が土下座をしたこともあった。上司も一緒だったけれど、その日は本当に生きた心地がしなかった。

2年目は基本ずっと苦しかった。

 

 

 

きっと業務過多が原因だったと思う。

そして誰にも頼れなかった。

厳しい上司にも無愛想な先輩にも、先輩と付き合っている同僚にも。

あの頃は全員が敵に見えた。

職場に着いても居づらくて、すごく遠くのトイレまで行っていたことも思い出した。

ずっと、どこかで倒れないかなと思っていた。

逃げ出したかった。

 

病院に行った日、涙が止まらない自分をちゃんと自分で守らなきゃと思った。

病院で診断書をもらえば、これでやっと少し休めるのかなと思った。

引き継ぎをしなければとかいろいろ考えていたけれど、

「もう明日から行かないで」と言われて

 

引き継ぎが困る、と思ったのと

休んでいいんだ、という安心感と、

そんなにひどかったんだ、と少し驚きがあった。

(でも次の日仕事には行って引き継はした)

 

 

あの時に自分でSOSを出せて本当に良かったと思っている。

会社の人に迷惑をかけてしまった反省はあるけど、病院にいかなきゃよかったという後悔はほんの少ししかない。

(もう少しやりたかったなと思う気持ちはある)

 

でもやっぱり、倒れたりする前に自分を守ろうとすることが出来て良かった。エラい。

弱かったかもしれないけれど、そんなこんなで今がちゃんとあるからもうそれで良し。

一生続けるなら、スターバックスがいいです。

私の中の想像を崩す

初めて、生湯葉さんのこえを聴いた。

 

文章を読む時、なんとなく想像していた生湯葉さんの声がある。

私はそういう自分の中で出来上がっていたものを崩されるのが苦手だ。

漫画や小説も、できるかぎり映像化してほしくない。好きな作品だと特に。私の中にもう答えがあるからそれを崩さないでほしい。それに映像化してしまったら、流されやすい私はずっとその映像のままになってしまう。原作を読んでも、もう自分の中で創り上げられていた答えは探しても探しても出てこない。それは悲しいし、腹立たしくもあり、怖かった。

 

というわけで、聴くのが怖いなって少し思ったけれど、やっぱり聴いてみた。

想像していたまんまというわけではないけれど、そこには本当の生湯葉さんがいて、ああこうやって実在してるんだと思って少し感動してしまった。

聴いてよかった。

雲の上の存在で尊すぎて、存在しているか分からないふわふわしている感じと思っていたけれど、はっきりと輪郭が見えて、(失礼は承知だけれど)勝手に親近感が湧いた。

 

そういえば愛してやまない森見登美彦さんも、つい先日動画で喋っているところを拝聴した。

なんだかそれは、小説の中に出てくる登場人物に声がついて動きがついて、命が吹き込まれたみたいだと思った。

やっぱりちょっと感動した。

 

こうして同じ時代に生きられて幸せだなと、ただ感じる。本当に私はラッキーだ。

次生まれ変わっても、机上でも動画でもなんでも良いから、また巡り会いたいと思う。